指先ひとつで、今を切り取れる。美しい光景を手の中に収められるんだ。だから写真はいい。行ったこともない外国にも、戻れない過去にも連れて行ってくれる。
「サクヤくんが写真を好きなのは分かったけどさあ」
夏休み。人のいない校舎を出て校庭を歩く。日が暮れて真っ赤に燃え上がる空にむけてカメラをむけている最中に、飽きたようにミサキが声を上げる。涼しくなってきたせいなのか、セミの大合唱が頭に叩きつけられて、とてもうるさい。
「絵じゃだめなのかな、それ。自分が思う通りに描いてつくるほうが楽しそうだよ」
「ミサキは描ける人間だからそういうんだ」
フレームに収まる構図が気に入らないと苦闘している最中に言われたせいで、突き放すような物言いになる。3センチほど上に雲があれば、ちょうど夕日を隠すようになって影と光が美しくなるだろうに。少し待てば流れて、構図が変わるだろうか。いや、覗く角度や場所を変えれば……。
数歩歩いて位置を変えてはカメラを覗き、やっぱり気に入らなくて移動する。花壇のふちにのぼってみたり、昇降口前の階段をあがってみたりと高さを変えるが、雲の位置と形と影がやはり気に入らない。
ミサキは僕があちらにこちらにと移動するのについてきては、同じように空を見て「あっちよりここのほうが空赤い気がする」「あ、ねえ。光のはしご!」「この砂利さ、きれいな色してない?」と、なにが楽しいのか、ずっとはしゃいだように声をあげていた。
「ミサキさ」耐えきれなくなって口が開く。「そんなに騒いで、バカみたいだぞ」
言葉にして、後悔する。
ミサキは、一瞬目を大きく開いてから、困ったように笑った。そして小さく首をかしげて「うるさかった?」と自信がなさそうにスカートをいじる。
「少しな」
「黙ったほうがいい?」
「別に。そこまで言ってない」
「じゃあ、黙らないでいよーっと」
……黙らないって言ったのに、以降彼女は口を閉ざした。
僕は昇降口の階段に突っ立ってレンズを覗いたまま、雲の位置が変わるのを待つ。フリを、する。ミサキは数段低い段に腰をおろして、自分の膝に右肘をついて頬杖をしている。さっきまで降っていた蝉しぐれが、妙に遠くに感じた。
「サクヤくんはさ」
カメラを下ろす。ミサキの後頭部しか見えないから、どこを見ているか分からない。
「写真、やめたくなったりしない?」
「なんで」
「……結果がついてこないから、とか?」
夏休みに、僕らは先生から呼び出された。僕は、休み前に出した写真のコンクールの結果について。ミサキはたしか、休み明けに賞に出す作品の進歩について。
僕の写真は、そもそも選考外だったらしい。そろそろ写真は適当に切り上げて、受験勉強に切り替えろと先生に諭された。かばんの中には、価値ナシの烙印を押された、僕の自信作が隠すようにしまってある。
「ミサキは今結果が出なくて嫌になってんの」
疑問文で聞いたくせに、断定した口調になる。視界のはしで、彼女がうなずいた。
「かくの、あきちゃった、なあ、って」
「飽きてるのに急かされてるみたいだしな」
また、彼女がうなずく。
「最初は最優秀で、次が優秀で、その次が佳作で」
「直近が入賞だろ、覚えてるよ。ミサキの母さんが何度も話すから」
「えーやだ、ママそんなに話してるの」
「会うたんびにその話だよ」
はっずかしー。口調は明るいのに、声音は暗い。ミサキは、一度も僕のほうを見ない。
「描きあげても、きっと次は参加賞にも入らないよ」
「だから最近描いてないんだ」
「そう。絵の具くさいし、処理も面倒だったし、キャンパスは邪魔だったし、いっぱい時間ができてちょっとスッキリしたよ」
「あ、そ」
嘘だな。──とは、言えなかった。
雲がずれて太陽にかかり、さっきまで理想としていた夕暮れ空が出来上がる。なのにどうしてか、カメラを構える気にはなれなかった。
「僕は今まで一度も賞なんか取ったことないから、ミサキのそういう面倒な気持ちなんか分かんないけどさ」
「……うん」
「描きかけはそもそも賞に出せないんだし、捨ててないなら完成させたら?」
「……うーん」
右から左に頬杖をしなおして、ミサキは「淡白だなあ」と笑った。僕に直接関係ないからだと言えば、そりゃそうだとまた力なく笑われる。
「僕は多分、写真やめないけどな」
いいと思ったものを手元に残したいのであって、僕の“いい”に同意がほしいわけじゃない。もちろん、認められたら嬉しいだろうけれど、それがすべてではないだろう。
蝉しぐれ。熱せられて湿ったような空気の匂い。暮れて煌々と輝く空と、暗く淡々と影になる彼女の背中。だだっ広くカラっぽな校庭に、僕らが歩き回った足跡が連綿と這いずっている。
──いいな。
ミサキの、逆光で真っ暗になった背中にピントを合わせて、赤く輝く空と校庭をおさめて、呼吸を殺してシャッターを落とす。
音に気づいた彼女が振り返って「なんで!?」と声を荒げたが、無視をした。
「空撮りたいんじゃなかったの? その高さじゃ空じゃなくて私ばっかり写ってない? あと撮るなら言ってよ、髪整えて可愛くしたのに!」
「うわ、一気にうるさい」
「なにをー!」
彼女の頬は頬杖を付き続けて真っ赤にあとが付いていた。空のふちには夜が覗き始めていて、夕暮れはとっくに通り過ぎているらしい。
「それにさ」
かばんの中にカメラをしまう。返却された写真が折れないように奥から引っ張り出して、なるべく上のほうに置く。
「写真より、絵のほうがいいんだろ。思い通りに描けるから」
ぴたりと、ミサキが固まる音がした。
本当に折れやしないかもう一度確認してからチャックを締める。
顔を上げる。階段に座ったままこっちを見上げる彼女と目があった。すぐにカメラをしまったことを後悔する。その表情を撮りたくなった。
「絵がいいって言ってるうちは、うだうだ言ってもやめないよ」
「サクヤくんて、」一度口が閉じられて、ゆるく目を細めた。「私の話、いつもちゃんと聞いてくれるよね」
「……たまたまだけど」
「ふふ、そっかあ」
帰ろうと声をかける。帰ろうと返事がくる。
空は今、6割が夕暮れで4割が夜になっている。時間の境目で青と赤がせめぎ合って、星が周りに集まっているようだ。
「たまたまが続いてるだけだったとしても、うれしいんだよ」
聞こえないふりをした。はずなのに、ミサキはにこにこと僕を見て、満足そうにしていた。
今日撮ったミサキの背中を、次のコンクールに出してみよう。きっと、今までに写したどれとも違う、強さと寂しさと美しさが現像される気がするんだ。
ミサキの絵もそうだ。投げ出そうとしたものをもう一度拾うのだから、きっと以前と違うなにかが宿るはず。
そういえば、ママが晩ごはん食べにおいでって言ってたよ。
今日、今すぐこいって?
そう、サクヤくんが好きなオムライスだって。
それならまあ、行こうかなあ。
子どものように両手をあげて喜ぶミサキに連れられて、帰路につく。今日の写真を見せるのも、ミサキの絵を見るのも、今から楽しみになっていた。
お題:写真、夕焼け (診断ツイート)
「サクヤくんが写真を好きなのは分かったけどさあ」
夏休み。人のいない校舎を出て校庭を歩く。日が暮れて真っ赤に燃え上がる空にむけてカメラをむけている最中に、飽きたようにミサキが声を上げる。涼しくなってきたせいなのか、セミの大合唱が頭に叩きつけられて、とてもうるさい。
「絵じゃだめなのかな、それ。自分が思う通りに描いてつくるほうが楽しそうだよ」
「ミサキは描ける人間だからそういうんだ」
フレームに収まる構図が気に入らないと苦闘している最中に言われたせいで、突き放すような物言いになる。3センチほど上に雲があれば、ちょうど夕日を隠すようになって影と光が美しくなるだろうに。少し待てば流れて、構図が変わるだろうか。いや、覗く角度や場所を変えれば……。
数歩歩いて位置を変えてはカメラを覗き、やっぱり気に入らなくて移動する。花壇のふちにのぼってみたり、昇降口前の階段をあがってみたりと高さを変えるが、雲の位置と形と影がやはり気に入らない。
ミサキは僕があちらにこちらにと移動するのについてきては、同じように空を見て「あっちよりここのほうが空赤い気がする」「あ、ねえ。光のはしご!」「この砂利さ、きれいな色してない?」と、なにが楽しいのか、ずっとはしゃいだように声をあげていた。
「ミサキさ」耐えきれなくなって口が開く。「そんなに騒いで、バカみたいだぞ」
言葉にして、後悔する。
ミサキは、一瞬目を大きく開いてから、困ったように笑った。そして小さく首をかしげて「うるさかった?」と自信がなさそうにスカートをいじる。
「少しな」
「黙ったほうがいい?」
「別に。そこまで言ってない」
「じゃあ、黙らないでいよーっと」
……黙らないって言ったのに、以降彼女は口を閉ざした。
僕は昇降口の階段に突っ立ってレンズを覗いたまま、雲の位置が変わるのを待つ。フリを、する。ミサキは数段低い段に腰をおろして、自分の膝に右肘をついて頬杖をしている。さっきまで降っていた蝉しぐれが、妙に遠くに感じた。
「サクヤくんはさ」
カメラを下ろす。ミサキの後頭部しか見えないから、どこを見ているか分からない。
「写真、やめたくなったりしない?」
「なんで」
「……結果がついてこないから、とか?」
夏休みに、僕らは先生から呼び出された。僕は、休み前に出した写真のコンクールの結果について。ミサキはたしか、休み明けに賞に出す作品の進歩について。
僕の写真は、そもそも選考外だったらしい。そろそろ写真は適当に切り上げて、受験勉強に切り替えろと先生に諭された。かばんの中には、価値ナシの烙印を押された、僕の自信作が隠すようにしまってある。
「ミサキは今結果が出なくて嫌になってんの」
疑問文で聞いたくせに、断定した口調になる。視界のはしで、彼女がうなずいた。
「かくの、あきちゃった、なあ、って」
「飽きてるのに急かされてるみたいだしな」
また、彼女がうなずく。
「最初は最優秀で、次が優秀で、その次が佳作で」
「直近が入賞だろ、覚えてるよ。ミサキの母さんが何度も話すから」
「えーやだ、ママそんなに話してるの」
「会うたんびにその話だよ」
はっずかしー。口調は明るいのに、声音は暗い。ミサキは、一度も僕のほうを見ない。
「描きあげても、きっと次は参加賞にも入らないよ」
「だから最近描いてないんだ」
「そう。絵の具くさいし、処理も面倒だったし、キャンパスは邪魔だったし、いっぱい時間ができてちょっとスッキリしたよ」
「あ、そ」
嘘だな。──とは、言えなかった。
雲がずれて太陽にかかり、さっきまで理想としていた夕暮れ空が出来上がる。なのにどうしてか、カメラを構える気にはなれなかった。
「僕は今まで一度も賞なんか取ったことないから、ミサキのそういう面倒な気持ちなんか分かんないけどさ」
「……うん」
「描きかけはそもそも賞に出せないんだし、捨ててないなら完成させたら?」
「……うーん」
右から左に頬杖をしなおして、ミサキは「淡白だなあ」と笑った。僕に直接関係ないからだと言えば、そりゃそうだとまた力なく笑われる。
「僕は多分、写真やめないけどな」
いいと思ったものを手元に残したいのであって、僕の“いい”に同意がほしいわけじゃない。もちろん、認められたら嬉しいだろうけれど、それがすべてではないだろう。
蝉しぐれ。熱せられて湿ったような空気の匂い。暮れて煌々と輝く空と、暗く淡々と影になる彼女の背中。だだっ広くカラっぽな校庭に、僕らが歩き回った足跡が連綿と這いずっている。
──いいな。
ミサキの、逆光で真っ暗になった背中にピントを合わせて、赤く輝く空と校庭をおさめて、呼吸を殺してシャッターを落とす。
音に気づいた彼女が振り返って「なんで!?」と声を荒げたが、無視をした。
「空撮りたいんじゃなかったの? その高さじゃ空じゃなくて私ばっかり写ってない? あと撮るなら言ってよ、髪整えて可愛くしたのに!」
「うわ、一気にうるさい」
「なにをー!」
彼女の頬は頬杖を付き続けて真っ赤にあとが付いていた。空のふちには夜が覗き始めていて、夕暮れはとっくに通り過ぎているらしい。
「それにさ」
かばんの中にカメラをしまう。返却された写真が折れないように奥から引っ張り出して、なるべく上のほうに置く。
「写真より、絵のほうがいいんだろ。思い通りに描けるから」
ぴたりと、ミサキが固まる音がした。
本当に折れやしないかもう一度確認してからチャックを締める。
顔を上げる。階段に座ったままこっちを見上げる彼女と目があった。すぐにカメラをしまったことを後悔する。その表情を撮りたくなった。
「絵がいいって言ってるうちは、うだうだ言ってもやめないよ」
「サクヤくんて、」一度口が閉じられて、ゆるく目を細めた。「私の話、いつもちゃんと聞いてくれるよね」
「……たまたまだけど」
「ふふ、そっかあ」
帰ろうと声をかける。帰ろうと返事がくる。
空は今、6割が夕暮れで4割が夜になっている。時間の境目で青と赤がせめぎ合って、星が周りに集まっているようだ。
「たまたまが続いてるだけだったとしても、うれしいんだよ」
聞こえないふりをした。はずなのに、ミサキはにこにこと僕を見て、満足そうにしていた。
今日撮ったミサキの背中を、次のコンクールに出してみよう。きっと、今までに写したどれとも違う、強さと寂しさと美しさが現像される気がするんだ。
ミサキの絵もそうだ。投げ出そうとしたものをもう一度拾うのだから、きっと以前と違うなにかが宿るはず。
そういえば、ママが晩ごはん食べにおいでって言ってたよ。
今日、今すぐこいって?
そう、サクヤくんが好きなオムライスだって。
それならまあ、行こうかなあ。
子どものように両手をあげて喜ぶミサキに連れられて、帰路につく。今日の写真を見せるのも、ミサキの絵を見るのも、今から楽しみになっていた。
お題:写真、夕焼け (診断ツイート)
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