薄汚れた路地に、体が投げ出された。あちこちが痛んで、熱くて、それよりなにより悔しさが身を焼いた。
オレを路地に捨てた大柄の男は、フンッ、と鼻を鳴らして肩をいからせている。
「ウチの店の前をうろつくんじゃない。小汚え盗人が」
「なにも盗んでない、うろついてもいない。歩いてただけだろ」
鉄臭さがたまらなくなって、口内に溜まった血液を吐き出した。男はそれを挑発と受け取ったらしい。きつい目が余計につり上がって、烈火に燃える敵意を乗せてオレの腹を蹴り上げた。体が宙に浮き、壁に叩きつけられる。衝撃に、肺から空気が押し出されて息が詰まる。また倒れそうになるのをこらえ、壁に背を預けるが、正直足は震えて視界が回る。きっと意識をトばしてしまったほうが楽なのだろう。
「今日はまだ、だろ。捨てられたガキは全員盗人だ」
「昨日も明日も盗まない!」
うるさい。言葉の代わりにまた拳が飛んで、頬を殴りつける。ガードが間に合わずに頭が揺れた。
本当に、本当に歩いているだけだった。空腹を抱えて、それを手放したくて。なにか口にできないかと青果店や飲食店のそばを通ったのは認める。オレのように汚れて腐臭のする、やせ細った子どもがそばに行くだけでも店の迷惑になることだって知っている。それでも、腐りかけて捨てるしかない果物を分けてもらいたかった。料理で使わない、捨てるしかない部位をゴミ箱からもらいたかった。客の残飯でも良いから、口に入れたかった。断じて盗んでいないし、咎められたらすぐに離れるつもりもあった。
なのに、この男は。
疲れて足を止めたのが、たまたまこの男の店の前だったのが運の尽き。立ち止まった。たったそれだけを理由に、男はオレを捕まえ、殴り、詰り、踏みつけて、暴力の餌とした。
違う、盗んでいない。なにもしていない。商品に触れてすらいない。目線をやったかもしれないが、そこに悪意も害意もない。必死に叫んでも拳ひとつで言葉は潰された。
一方的な蹂躙は、当然人目を引いた。穏やかそうな女は顔をしかめて。親子連れは声をひそめ距離をとって。そばを通ろうとした馬車にのる御者は迷惑そうに。みんな口を揃えてこういうのだ。
あの子どもが、商品を盗んだのだろう。自業自得だ。仕方ない。
違う。違う違う違う、ちがうのに!
オレを見ろよ。なにも持ってないだろ。服に隠す場所だってない。いきなり掴まれて殴られただけだ。なあそこの無関係だって顔して野次馬している女、最初から見てたじゃないか。そこの親も、子どもに「盗んだものはどこにあるの?」って聞かれて困ってる。御者も、申し訳無さそうに目をそらすなよ。
違うって言ってるのに。気づいてるだろうに、どうして誰も助けてくれないんだ。
悦を覚えた男は、オレの首を掴み上げて引きずって、汚れた路地に投げ捨て、もっと苛烈に腕を振るう。
影になって暗い路地。遠い空で太陽が輝く。逆光になっている男の顔は、それでもいびつにむきだしに、悦楽に浸かった笑みを見せる。
オレの血は、傷は、痛みは、こんなにさらされて照らされて、はっきり見えるのに、男のいびつは影に沈めて隠すのか。太陽すらも、オレの味方をしてくれないのか。
「テメェが死んだら清々するだろうな」
お天道様は全部見てるとかよく言うよ。味方するやつを選ぶくせに。──オレの意識は、そこで途切れた。
─◆─◆─◆─
最初に耳に入ったのは、鳥の羽音。それから、足をなにかにつつかれている感覚だった。
ゆるりと目をあける。広がるのは、真っ黒な色。それがカラスの羽だと気づくのに時間はかからなかった。
死体だと思われてる!
慌てて起き上がり、足をつつくカラスを蹴り上げ、手を振り回してカラスを追い払う。集まっていたカラスは一斉に散って空に逃げていった。
「……あ、」
なんだ。オレも、同じじゃないか。
腹が空いて食べ物を探してたまたま店の前で足を止めたオレと。食べ物を探し死体のように動かないオレの周りに群がっていたカラス。
オレがカラスなら、あの男の行動も肯定できるかと考えて……やめた。悦楽を見取ってしまったオレには、彼の過剰防衛を認められる気がしなかった。
身を焼いていた悔しさは虚脱感に変わり。痛みで忘れていた空腹感が戻ってくる。カラス、追い払わないで一匹くらい捕まえればよかった。
横たわっていた体を起こして、足を投げ出すようにして座る。見える手足には出血の跡があり、皮膚が青や赤に染め上がっていて、うまく動かない。
今日のオレは、多分、誰より正しかった。空腹を満たそうとすることも、疲れて立ち止まったことも、殴られても反撃しなかったことも、言葉で主張し続けたことも、すべて正しいことのはずだ。
けれど、正しいだけじゃだめなのかもしれない。だって誰も、助けてくれなかった。誰も男に、間違ってるって言わなかった。薄汚れて腐臭がする、やせっぽっちの捨てられたガキじゃだめなんだ。それなら、それなら、これから――。
思考を回す。心を閉ざす。腹は満たせず、体は痛む。
それでも、それだからか。オレはオレの内側から、ピシリとなにかがひび割れるような音を聞いた。
変わる、変える。絶対に、変える。なにを変えるか、なにが変わるか分からないけど。今日の悔しさも痛みも、絶対に忘れやしない。
30日チャレンジ1日目
太陽、はばたき、はじまり
PENGUIN RESEARCHさんの『ジョーカーに宜しく』聴きながら書きました、あからさまです。
オレを路地に捨てた大柄の男は、フンッ、と鼻を鳴らして肩をいからせている。
「ウチの店の前をうろつくんじゃない。小汚え盗人が」
「なにも盗んでない、うろついてもいない。歩いてただけだろ」
鉄臭さがたまらなくなって、口内に溜まった血液を吐き出した。男はそれを挑発と受け取ったらしい。きつい目が余計につり上がって、烈火に燃える敵意を乗せてオレの腹を蹴り上げた。体が宙に浮き、壁に叩きつけられる。衝撃に、肺から空気が押し出されて息が詰まる。また倒れそうになるのをこらえ、壁に背を預けるが、正直足は震えて視界が回る。きっと意識をトばしてしまったほうが楽なのだろう。
「今日はまだ、だろ。捨てられたガキは全員盗人だ」
「昨日も明日も盗まない!」
うるさい。言葉の代わりにまた拳が飛んで、頬を殴りつける。ガードが間に合わずに頭が揺れた。
本当に、本当に歩いているだけだった。空腹を抱えて、それを手放したくて。なにか口にできないかと青果店や飲食店のそばを通ったのは認める。オレのように汚れて腐臭のする、やせ細った子どもがそばに行くだけでも店の迷惑になることだって知っている。それでも、腐りかけて捨てるしかない果物を分けてもらいたかった。料理で使わない、捨てるしかない部位をゴミ箱からもらいたかった。客の残飯でも良いから、口に入れたかった。断じて盗んでいないし、咎められたらすぐに離れるつもりもあった。
なのに、この男は。
疲れて足を止めたのが、たまたまこの男の店の前だったのが運の尽き。立ち止まった。たったそれだけを理由に、男はオレを捕まえ、殴り、詰り、踏みつけて、暴力の餌とした。
違う、盗んでいない。なにもしていない。商品に触れてすらいない。目線をやったかもしれないが、そこに悪意も害意もない。必死に叫んでも拳ひとつで言葉は潰された。
一方的な蹂躙は、当然人目を引いた。穏やかそうな女は顔をしかめて。親子連れは声をひそめ距離をとって。そばを通ろうとした馬車にのる御者は迷惑そうに。みんな口を揃えてこういうのだ。
あの子どもが、商品を盗んだのだろう。自業自得だ。仕方ない。
違う。違う違う違う、ちがうのに!
オレを見ろよ。なにも持ってないだろ。服に隠す場所だってない。いきなり掴まれて殴られただけだ。なあそこの無関係だって顔して野次馬している女、最初から見てたじゃないか。そこの親も、子どもに「盗んだものはどこにあるの?」って聞かれて困ってる。御者も、申し訳無さそうに目をそらすなよ。
違うって言ってるのに。気づいてるだろうに、どうして誰も助けてくれないんだ。
悦を覚えた男は、オレの首を掴み上げて引きずって、汚れた路地に投げ捨て、もっと苛烈に腕を振るう。
影になって暗い路地。遠い空で太陽が輝く。逆光になっている男の顔は、それでもいびつにむきだしに、悦楽に浸かった笑みを見せる。
オレの血は、傷は、痛みは、こんなにさらされて照らされて、はっきり見えるのに、男のいびつは影に沈めて隠すのか。太陽すらも、オレの味方をしてくれないのか。
「テメェが死んだら清々するだろうな」
お天道様は全部見てるとかよく言うよ。味方するやつを選ぶくせに。──オレの意識は、そこで途切れた。
─◆─◆─◆─
最初に耳に入ったのは、鳥の羽音。それから、足をなにかにつつかれている感覚だった。
ゆるりと目をあける。広がるのは、真っ黒な色。それがカラスの羽だと気づくのに時間はかからなかった。
死体だと思われてる!
慌てて起き上がり、足をつつくカラスを蹴り上げ、手を振り回してカラスを追い払う。集まっていたカラスは一斉に散って空に逃げていった。
「……あ、」
なんだ。オレも、同じじゃないか。
腹が空いて食べ物を探してたまたま店の前で足を止めたオレと。食べ物を探し死体のように動かないオレの周りに群がっていたカラス。
オレがカラスなら、あの男の行動も肯定できるかと考えて……やめた。悦楽を見取ってしまったオレには、彼の過剰防衛を認められる気がしなかった。
身を焼いていた悔しさは虚脱感に変わり。痛みで忘れていた空腹感が戻ってくる。カラス、追い払わないで一匹くらい捕まえればよかった。
横たわっていた体を起こして、足を投げ出すようにして座る。見える手足には出血の跡があり、皮膚が青や赤に染め上がっていて、うまく動かない。
今日のオレは、多分、誰より正しかった。空腹を満たそうとすることも、疲れて立ち止まったことも、殴られても反撃しなかったことも、言葉で主張し続けたことも、すべて正しいことのはずだ。
けれど、正しいだけじゃだめなのかもしれない。だって誰も、助けてくれなかった。誰も男に、間違ってるって言わなかった。薄汚れて腐臭がする、やせっぽっちの捨てられたガキじゃだめなんだ。それなら、それなら、これから――。
思考を回す。心を閉ざす。腹は満たせず、体は痛む。
それでも、それだからか。オレはオレの内側から、ピシリとなにかがひび割れるような音を聞いた。
変わる、変える。絶対に、変える。なにを変えるか、なにが変わるか分からないけど。今日の悔しさも痛みも、絶対に忘れやしない。
30日チャレンジ1日目
太陽、はばたき、はじまり
PENGUIN RESEARCHさんの『ジョーカーに宜しく』聴きながら書きました、あからさまです。
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