唯代終が運営している一次創作サイトです。主に私が書いた作品、参加企画のまとめ、合同創作などを載せています。

 兄さんみたいになりたいんだ。いつでもなにかを考えてまっすぐに前を見据えている、兄さんみたいな人に。
 ──弟の乃がそう言って、きらきらとした瞳をむけてきたのは、今から何年前のことになるんだろう。

「おい空閑。空閑シラベさんや」

 同僚である宗像がぽん、と、オレの肩を叩いた。瞬間的に意識が戻ってくる。作成途中だった手元の書類は、オレが握っていたボールペンのせいで無意味な黒モジャが大量発生している。

「うっわあぁ!? 悪い、これ作り直す!」
「いやいいよ。お前この時期になると、いつもぼーっとしてるし。書類不備は毎年のことだろ」
「それでも、悪い」

 ため息とともに書類の失敗作をシュレッダーにかける。
 十月三十一日。世にいうハロウィンの日。この日は、オレにとって、特別な日だ。大切で大嫌いで、でも突き放せない弟、乃のなにかが壊れて、犯罪者に……NOxに成り下がった日だ。

─◆─◆─◆─

 桜の花弁を操る少女が異能を暴走させて、複数の死傷者を出していると通報が入った。
 少女はハロウィンイベントを行なっているスクランブル交差点で異能を暴走させたらしく、周囲に散る己の花弁のせいで身動きも取れずにいるらしい。
 宗像とともに現場に急行したオレは、その惨状に言葉を失った。
 倒れ伏す人のほとんどに意識はない。かろうじてうめいている者がいるものの、鋭い刃物で切り裂かれたような数多の切創が体に刻まれている。
 風に巻かれるように荒れ狂う桜の花弁と誰かの血液。その中心部に座り込む少女は、ぼんやりとしてどこを見ているか分からない。黒のレザージャケットのおかげか、少女自身にケガがないのは幸いか。

「おいシラベ、お前あの子に“エンフォーサー”つけられるか」
「無茶言うな、オレゃゼロなんだぞ。近づけるかっつーの」
「だよなあー、言ってみただけ!」

 エンフォーサー。正式名称を自律型捕縛システムエンフォーサーという、異能力を無効化する特殊な手錠だ。
確かに中央部で座り込む少女にエンフォーサーをつけられれば一発解決である。そんなの誰でも分かる。ただそれを、誰がやるのかという話だ。
 座り込んでいる少女はどこを見ているのか、倒れる人々を見てぼんやりしたままである。泣き叫ぶこともヒステリーを起こすこともなく、なにも見ていないかのように、白銀の瞳を数度瞬かせているだけ。それどころか、時折乱れる髪を手ぐしで直し、あふれる花弁に手を伸ばしては、己の指を切り裂いて引っ込めている。
まるで、無知で無邪気な幼子のそれだ。危険も悪も、人死にも傷も分からないとでも言うような反応に苛立ちが募る。お前も被害者かもしれないが、加害者なんだ。自覚を持てよ。クソ。
 現場には続々と探偵社員がやってきて、拡声器を使って少女に呼びかけている。パニックを起こしているのかもしれない、だからぼんやりしているのかもしれないと解釈して、優しく好意的な言葉を用いるも、少女はなにも分からないとでもいうように、こてりと首をかしげるばかり。

「顔が怖いぞシラベ」

 茶化すような宗像の声に「分かってるわクソ」と返事をすれば笑われた。

「しっかし。笑ってふざけている場合でもないんだよな」

 解決の目処が立ちそうもない。有効な異能を持つ社員が、なかなか到着しないのだ。
 いっそ、オレが捨て身覚悟でエンフォーサーをつけに行くか?
 ふ、と脳裏に浮かんだ考えに、それも存外悪くないかもしれないと思考を巡らす。オレはレベルゼロだ。確かに一般人と比べれば、オレの知力は優れたものかもしれない。けど、その知力は今、無意味だ。こうやって悩んでいるうちにも死傷者は増え、被害は拡大していくばかり。
 ──迷う理由はないな。
 エンフォーサーを起動する。ユーザー認識を促す音声が響き、隣でそれを聞いていた宗像がぎょっとした様子でオレを見た。

「この待機時間ムダだろ、行ってくる」
「待て待て待て、あの中に突っ込んでいく気か。花吹雪っていうより、刃桜って感じだぞ。死ぬって」
「じゃあここで黙って見てろってのかよ! 助けられるかもしれないものが、そこにあるのに!」
「そっか、やっぱり兄さんは助けたいんだね」

 せすじが。ひやりとした。
 とっさに振り向き、宗像をかばうように腕を広げる。

「やあ、久しぶり。兄さん」

 深海を思わせる長い髪をひとつに結んで、軽薄そうに目を細めて笑う彼は、ロング丈のジャケットをひらひらと揺らしている。
 大切で大嫌いで、でも突き放せない乃が、最後に別れたあの日と同じように笑っている。……いや、あの日よりも随分と薄っぺらい顔をするようになったか。

「なんの用だ、NOx」
「兄さんにそう呼ばれるのは、なんだか悲しいな」

 隣の宗像がホルスターに手をかける。
 瞬間、苦しげに喉を押さえてうずくまった彼は、口を大きく開けて真っ青な顔で、はくはくと引き連れた音を出した。乃はそれを、面白そうに目を細めて見ているだけ。

「やめろ乃!」
「うん、兄さんが言うなら」

 途端。どさりと崩れ落ちるように倒れた宗像は、肩を大きく上下させて必死に呼吸をしている。

「……酸素濃度でもミキシングしたのか」

 にこりと、乃が笑う。その表情が答えだった。

「大丈夫、今日は彼女を回収したらすぐに帰るよ。なにも壊さないさ」

 彼女。と言いながら、花嵐の中心にいる桜の少女に目線を送った乃は、再びきれいに笑って見せ、まるで散歩にでも出るかのような気軽な足取りで宣言どおり少女に近づいていく。

「かおるこ、迎えにきたよ。今日はもう帰ろう」

 ふわ、と。花弁の勢いが弱まる。風に煽られていた血液が、べしゃりと不快な音を立ててコンクリートに打ち付けられる。そうして、ずっとぼんやりしていた少女の瞳が乃をとらえた。花嵐は、乃をその内部に招き入れる。

「はは、ごきげんだね。楽しかった?」

 こくり。と、少女がうなずく。わずかに頬を染めた彼女の表情は、まさに恍惚と表現するのがふさわしいだろう。

「そっか、よかった。たくさん殺せて偉いよ」

 また、こくりと少女がうなずく。ようやく呼吸が落ち着いたらしい宗像が「あいつの指示かよ」と苦々しげにつぶやいた。
 空閑乃。過去に起こった複数の殺人事件に関わっていると目されている知能犯。なにかをなしたいと願う人間の前に現れて、清濁併せた“プラン”を提案、提供する。犯罪プランナーだ。
 それが、異能を暴走させた少女に接触し、たくさん殺せて偉いなどとのたまった。この意味が分からぬほど、バカではない。

「サイッアクだ」

 乃が、かおること呼んだ少女をゆるく抱きしめてから、彼女を立たせる。そうして足についたホコリや花弁をはたき落とすような仕草をして、……オレを見た。

「いやあ、今日は私の人形がご迷惑をかけたようで申し訳ない。きれいなものが見たくてたまらないんだとわがままを言ってね。ハロウィンだから町に出ればオーナメントがあるかもしれないとは言ったけど。……いやあ、まさかオーナメントをつくる方に努力するとは思わなくって」

 オレを、ではなく、探偵社員を見ていたらしい。演説をするかのような横行で大げさな動作を交えて話す乃は、いやに慣れていてさまになっている。
 じりりとひりつく緊張感が、肌をさす。大物NOxを前に、誰もが及び腰になっている。宗像も、ホルスターに手をかけるだけで、銃を抜く様子もない。
 誰も動かないことを確認した乃は、深く笑む。そして「帰ろうか」と少女に声をかけた。
 こくり。少女がうなずいて、二人を取り巻いていた花嵐が一瞬消える。しかし次の瞬間、突き上げるような突風が吹きすさび、とっさに目をかばうように防御をして。
 ──風がやんだ頃には、二人の姿は消えていた。空には薄紅の、桜を思わせるような色の雲が、ゆうゆうと流れて離れていく。

「なるほど、花弁を足場にして空に逃げてったわけだ」

 攻守ともに優れ、更に移動までできるとか。あの少女の花弁は万能かよ。
 二人が消えたことにより、現場はまた騒がしさを取り戻した。トレアージ、応急手当、遺体を確認し遺族に連絡とり……。たくさんの仕事が、あれやこれやと湧いてくる。
けれど、そのどれもに手がつけられなかった。オレは、乃との不意の再会で、内心がめちゃくちゃだ。

 ──なんで、なんでだれも気づかないんだよ!

 十年以上も前のハロウィンの日、乃がNOxに転がったあの日のことが思い起こされる。

「兄さんはこんなに傷ついてるのに。僕のせいでこんなに苦しんでるのに。どうして誰も気づかない? どうして、みんな、ただの“調”って呼ばないんだ。どうして僕を引き合いに出す!?」

 兄弟で比較され優劣をつけられることに対して、先に不満を破裂させたのは、意外にも乃のほうが早かった。
 いつものように乃のみを心配する母に怒鳴り、乃のみに期待をかける父に反発した。側にいたオレは呆然。父母も困惑。リビングは騒然。一言で言うなら、なんだどうした、である。

「みんな、なにを見てるんだよ。どうして誰も、僕を、兄さんを、比べるんだ。僕は優秀なんかじゃない。兄さんが道をつくってくれるから、だから僕は、」

 必死に主張する乃の言葉をどう受け取ったのか、母は「乃はすごいのよ。あなたのことをみんな評価していて」と諌めようとした。
 それがいけなかった。
 爆発した感情のままに鋏を手にとった乃は、それをためらいなく母の喉に差し込み、開いてねじって、抜いた。
 当然母は、信じられないほどの出血を起こし倒れ、目をカッ開いたまま動かなくなった。

「ようやく、静かになった」

 ぽつりとこぼされた言葉は、氷よりも冷えていた。同時に、そうかお前もだったのかと、オレの心のどこかが同調したのだ。
 父はなにが起こったのか理解できないという顔で、けれど親としての威厳を保とうとしたのか、ひっくり返った声で乃を呼び。……母と同じように喉を裂かれて死んだ。
 血だらけの鋏を持って、返り血で汚れた制服のまま、乃は「これからのこと、考える」と残して、ふらりと家を出ていった。
 あれから、連絡も取れなくなり十年以上が経っていた。探偵社員として様々な事件に関わって、その裏側に乃が関わっているかもしれないと知ったときの動揺と困惑と納得を、今でも覚えている。
 トレアージは進み、救助不能の黒タグがつけられた人が増えていく。オレも対応に当たらなきゃ。そう思うのに、心が重たくて動けない。
 乃はあの日、凶行に走った。それは事実だ。でも、傷ついたオレを真っ先に見つけて守ろうとしてくれたのだろうことも分かっていた。分かっているから、どこかでNOx空閑乃に期待をしてしまうし、大嫌いなのに嫌いきれないのだ。
 乃。なあお前。今、なに考えてんだよ。オレじゃ、お前の助けになれねえのかな。NOxなんてやらなくてもいいように。お前の本心と考えを見つけたいって思うのは、いけないことだろうか。

「おーい、シラベ。たそがれてないでそろそろ仕事してくれー」

 被害状況をまとめていた宗像が戻ってくる。「ああ」と気のない返事がこぼれた。遠慮ない宗像のチョップが頭に落ちる。

「切り替えてけ。お前は探偵社員だろ」

 言葉と書類を押し付けた彼は「それで報告書つくってくれ」とだけ残し、またどこかに言ってしまった。

「……そうだな、オレは探偵社員だ」

 思わずもれた自嘲は、なんに対してだったのか。正直わからない。
 けれど。
 乃のことがわからないのなら、理解できるまで資料を集めて事件に当たればいい。乃の本心が見つからないなら、証拠と証言の中から拾い上げればいい。

「そういう地道な作業は、探偵の本分だろ」

 なあ、乃。



 ハッピーハロウィーン。
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